「音楽は売れなくなった」とは言われ続けているけれど

 

昨今の音楽市場において「ストリーミングサービスの普及」や「若者は趣味にお金をたくさん使えない現実」「レコ屋の売り上げが悪い」など、その他書ききれない要因は沢山あるが、どうしてもネガティヴな話しか聞かないし、正直レコ屋業界でさえも新品販売に力を入れるどころか利益率の高い中古販売を始めるチェーン店が増えている。本当にそうなんだと思うのだが、みんなが音楽に対してお金をかけなくなったという事実は目を背けてはいけない現実なのである。

 

だけど、この現象は「みんなが音楽を買わなくなった」のではなく「音楽に対してそれほどの熱量を持っていなかった人たち=ライト層のリスナーが離れていっただけのこと」ということだとも考えられないだろうか。

 

これは「音楽にお金を出さなくなった人が、音楽に対して情熱が全く無い」と批判しているわけじゃなく、時代とともに彼らの音楽に対する優先順位などが変わり、手軽に音楽を聴けるようになり、わざわざ音楽を買ってまで聴かなくなったということだ。

 

一方、音楽に対して、今も昔もお金を出す人々は、とくに何が変わるわけでもなく、今日も音楽を買い続ける。「ストリーミングというフィルターを通って、濃度の高いリスナーのみが残る」この現象は悲観的になるどころかむしろ音楽シーンにとっても明るい現象だとも思う。本当の価値が欲しい人だけが残る。

 

今も昔もCD、レコード、カセットテープなどに音楽に対してお金を払い、現物を手に入れ続けている人は沢山いる。新譜商品が品切れになったり、予約をする人が居たり、その光景を今でも目の当たりにしていると「あれ、音楽売れてるじゃん」と考えてしまうのは私だけなのかな。

 

レコードやCDが無くなるのか、無くならないのか、という話はまた今度にするとして、レコードやCDはより一層「現物としての価値」を高め、コレクターズ・アイテムになっていくことは間違いないと思う。

 

去る者追わずで良いのかは定かではないが、残った人たちに向けて、いかに濃度の高い作品を、どう発信していくのかが、アーティスト、レコ屋などの課題になってくると思う。その濃度とは、音楽本体でも良いし、パッケージでも良いし、いろいろあると思う。もしかしたら、音楽から離れてしまっていたリスナーが、再び、あの時の情熱を思い出して作品を買うようになるかもしれない。

 

そしてその高濃度に発信されたものに対して、きちんと対価を払い、目に見えない匂いもしない音楽をモノとして手にし、結果それがサポートになる。

 

こんな考え方は楽観的過ぎるのではないか、とも言われそうだが、苦しい現実から目を背けずに、同時に良いほうに考えることが必要だ。今この時代には、発信する側も、受け取る側も、「高濃度」なやりとりをしていくべきだと思う。

 

 

 

だって音楽って、そんな浅くて軽いものじゃないから。

情熱が込められてつくられた、1つの作品だから。

 

 

私は今やただのリスナーだけれど、人生の中で初めてこんなにも好きになったものが手荒に扱われたり、衰退していくのをただ指をくわえてみていることなんて出来ない。

 

 

データだけの世の中にはしたくないね。