情熱を持ち続けるということ、とは

 

音楽関係の仕事をしています(していました。)と伝えると、よく聞かれることがある。

 

「音楽に対する情熱が冷めたり、無くなったりしないのですか。」と。

 

答えは、

 

「冷めないし、無くならないですね。」

 

だ。

 

正確に言うと、

 

冷めたり無くなるときもあるけれど、必ず戻ってまた情熱がメラメラと燃えている」

 

のだと思う。

 

私は昔は自他ともに認める飽き性で、気分屋な人間だった。

 

コツコツとした作業が大嫌いで、毎日同じことの繰り返し繰り返しなんて耐えられない、石の上にも3年、なんてあり得ないとか思ってしまう感じだった。一つのことを継続して続けることが非常に苦手で、ましてや一つのことに対して情熱を持つなんて考えたことも無かった。

 

そんな私が、唯一飽きることなく好きで居続けているもの、それが音楽である。

 

両親も兄弟も音楽は特に聴かなかったし、何がきっかけで音楽を聴き始めた、というのは特にないのだが、気付いたら中学生になったくらいから音楽を「意識して」聴き始めた。自分のMY BESTを作りMDに入れ、毎日持ち歩いたり、友人にCD-Rとしてオススメトラックを焼いて渡したりした。

 

中学生のお小遣いではバンバンCDを買えなかったので、レンタル屋に行ったりして聴くことが多かった。(当時は洋楽CDのレンタル解禁が1年と決まりがあったため、

最新のものがチェック出来ず悶々としていたのを覚えている。)

 

そして高校生になると、よくある「誰も知らない超ドマイナーなアーティストを自分の手で見つけ出したい欲」にかられ、出演バンドを1つも知らないイベントに行ってみたり、ライブハウスでもらうフライヤーを鬼のように集めてバンドを調べたり、フリーペーパー、インターネット(my spacemixiaudioleafなど)、そしてレコ屋でのジャケ買いなどを駆使してdig活動をしていた。

 

ダイヤモンドの原石みたいな、まだ陽の目を見ていないけれど、知られるべき音楽を鳴らすアーティストをとにかく探しまくっていた。(後に自分がレコ屋で働くなんて知る由もなかった。)高校生ながらにもノートにレビューを書いてみたり、オススメのCDを友人に貸すときには必ずメモ帳に手書きでオススメトラックと簡単なレビューを書いたりしていた。

 

大学生では、、と続けたいところだがめちゃくちゃ長くなってしまうのでここまでにするとして、飽き性で1つのことを続けることが苦でしかなかった私が、中学時代~現在(28歳)まで無意識に続けているのは「自ら音楽の海に潜っていき、触れ、自ら発信すること」なのだ。

 

昔から、良い音楽を見つけると「発信しなきゃ」という使命感にかられる。

それが仕事でも、仕事でなくても、使命感にかられるのだ。

 

発信すべき場所が、少人数であろうと、大人数であろうと同じで、1人でも多くの人に知ってもらいたい。世界のためにも、アーティストのためにも。こんなに素晴らしい音楽が知られることなく流されてしまうなんて考えただけでつらくなる。こんな風に思う。

 

こういったことは、情熱があるから出来るということではないのかもしれないけれど、

音楽に対して情熱を持って生きている。これだけは誰にも譲れないものなのだ。

 

とはいえ、人間だから、たまには上がり下がりはある。音楽を聴きたくないとは思ったことはないが、聴かない日もたまにある。と書こうとしたが、今のところ聴かない日は無い。

 

ずっと同じモチベーションで居続けることは難しいのかもしれないけれど、いまのところ情熱が消えたりなくなったりすることは無さそうだし、ただただ好きで音楽を聴いていた自分や、純粋な気持ちを持ちつつも、自分が生活していくためにも仕事としても音楽と向き合ってきた自分、いろんな接し方をしてきたからこそ、ますますその火は消えないし、寧ろ年齢を重ねて、いろいろなものが見えてきた今、熱は上がってきているくらいである。

 

24時間音楽のことを考えていられるような人生だったらどんなに幸せなのだろうか。と中学生や高校生の時に妄想していた事が、今、現実となっているのが非常に面白い。

 

情熱は燃え続けるのである。

 

 

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↑神奈川で一番再生した自信がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「音楽は売れなくなった」とは言われ続けているけれど

 

昨今の音楽市場において「ストリーミングサービスの普及」や「若者は趣味にお金をたくさん使えない現実」「レコ屋の売り上げが悪い」など、その他書ききれない要因は沢山あるが、どうしてもネガティヴな話しか聞かないし、正直レコ屋業界でさえも新品販売に力を入れるどころか利益率の高い中古販売を始めるチェーン店が増えている。本当にそうなんだと思うのだが、みんなが音楽に対してお金をかけなくなったという事実は目を背けてはいけない現実なのである。

 

だけど、この現象は「みんなが音楽を買わなくなった」のではなく「音楽に対してそれほどの熱量を持っていなかった人たち=ライト層のリスナーが離れていっただけのこと」ということだとも考えられないだろうか。

 

これは「音楽にお金を出さなくなった人が、音楽に対して情熱が全く無い」と批判しているわけじゃなく、時代とともに彼らの音楽に対する優先順位などが変わり、手軽に音楽を聴けるようになり、わざわざ音楽を買ってまで聴かなくなったということだ。

 

一方、音楽に対して、今も昔もお金を出す人々は、とくに何が変わるわけでもなく、今日も音楽を買い続ける。「ストリーミングというフィルターを通って、濃度の高いリスナーのみが残る」この現象は悲観的になるどころかむしろ音楽シーンにとっても明るい現象だとも思う。本当の価値が欲しい人だけが残る。

 

今も昔もCD、レコード、カセットテープなどに音楽に対してお金を払い、現物を手に入れ続けている人は沢山いる。新譜商品が品切れになったり、予約をする人が居たり、その光景を今でも目の当たりにしていると「あれ、音楽売れてるじゃん」と考えてしまうのは私だけなのかな。

 

レコードやCDが無くなるのか、無くならないのか、という話はまた今度にするとして、レコードやCDはより一層「現物としての価値」を高め、コレクターズ・アイテムになっていくことは間違いないと思う。

 

去る者追わずで良いのかは定かではないが、残った人たちに向けて、いかに濃度の高い作品を、どう発信していくのかが、アーティスト、レコ屋などの課題になってくると思う。その濃度とは、音楽本体でも良いし、パッケージでも良いし、いろいろあると思う。もしかしたら、音楽から離れてしまっていたリスナーが、再び、あの時の情熱を思い出して作品を買うようになるかもしれない。

 

そしてその高濃度に発信されたものに対して、きちんと対価を払い、目に見えない匂いもしない音楽をモノとして手にし、結果それがサポートになる。

 

こんな考え方は楽観的過ぎるのではないか、とも言われそうだが、苦しい現実から目を背けずに、同時に良いほうに考えることが必要だ。今この時代には、発信する側も、受け取る側も、「高濃度」なやりとりをしていくべきだと思う。

 

 

 

だって音楽って、そんな浅くて軽いものじゃないから。

情熱が込められてつくられた、1つの作品だから。

 

 

私は今やただのリスナーだけれど、人生の中で初めてこんなにも好きになったものが手荒に扱われたり、衰退していくのをただ指をくわえてみていることなんて出来ない。

 

 

データだけの世の中にはしたくないね。